私のいちばん長い日(1)
昭和二十六年の秋の澄み渡った青空に、黄色がさして、黄昏が迫ってくる時である。
新川駐在所の加藤巡査が、ひょっこりやって来た。
「黒柳さん、えらいことになったぜ。今警視庁が無電(=無線電話)で県警へ、県警から電話連絡で碧南署へ通報が入り、わしが飛んで来た。東京行きだ。準備の都合もあるだろうから、明日の朝一番で行かせ。これが命令の写しだ。」
********************
命 令
陸軍建技少佐 黒柳伴治
右の者戦犯参考人として、直ちに連合軍総司令部マニラ法廷へ出頭を命ず。
ただし食糧一週間分を携行し、警視庁戦犯係に連絡をとるべし。
昭和二十六年十月一日
連合軍最高指揮官マッカーサー元帥
********************
これは私にとって、まさに『晴天の霹靂』であった。
********************
昭和十九年五月七日、私はフィリピン第十四方面軍第三開拓勤務隊長に補せられ、朝鮮平壌第十三師団において次の新編成により部隊は第十四方面軍司令官の指揮下に入った。ところが、フィリピン向けの輸送船はなく、平壌に四ヶ月、台湾高雄に三ヶ月、内待機を余儀なくされ、部隊の訓練に励みながら太平洋戦争の戦局を見詰めていた。
第十四方面軍第三開拓勤務隊編成
任務
占領地を開拓し現地自活の為の糧・生虜等の各部隊への資源の補給に万全を期す
編成
本部:隊長、少佐、副官少部中尉、軍医見習士官、下士官五〇名
第一中隊:農耕作業
中隊長(生計中尉)、下士官一九〇名
脱穀機その他農器具一式携行
第二中隊:牧畜作業
中隊長(生計中尉)、下士官一九〇名
牧畜用器具一式携行
第三中隊:漁猟作業
中隊長(生計中尉)、下士官一九〇名
漁具一式携行
第四中隊:食品加工作業
中隊長(生計中尉)、下士官一九〇名
味噌作大樽、醤油縡機等食品加工機一式携行
第五中隊:建設作業
中隊長(建技少佐)、下士官一九〇名
大工道具等建設工具一式携行
装備:三八式歩兵銃三〇〇丁、銃弾
兵員総数:一〇〇〇名