little cloudberry JAM

昭和生まれの¥ENさんが平成の世を生きた軌跡を残す為だけに存在する誰得備忘録

2014-01-01から1年間の記事一覧

私のいちばん長い日(1)

昭和二十六年の秋の澄み渡った青空に、黄色がさして、黄昏が迫ってくる時である。 新川駐在所の加藤巡査が、ひょっこりやって来た。 「黒柳さん、えらいことになったぜ。今警視庁が無電(=無線電話)で県警へ、県警から電話連絡で碧南署へ通報が入り、わし…

私のいちばん長い日(2)

昭和十九年後半ともなると、太平洋戦争の緒戦に日本軍が占領したサイパン、テニアン、グァムなど日本本土の玄関口といわれたマリアナ群島の重要拠点が次々に玉砕又は撤退と失われ、軍の憂色は日を追って濃くなってきた。フィリピン戦線では、第三艦隊ハルゼ…

私のいちばん長い日(3)

山下大将着任当時は、第十四方面軍の兵力は九個師団、三個師団、約二十三万人を数えた。ところがセブ島、ミンダナオ島、レイテ島などに十万人が分散し、残る十三万人はルソン島にいたが、これもルソン各地に分散して、その勢力はあきらにも違いすぎた。山下…

私のいちばん長い日(4)

昭和二十年一月六日から米軍の艦戦機の爆撃が熾烈を極めて、艦砲射撃が始まった。サンフェルナンド港の建物は吹っ飛び、猛煙が辺り一帯を包んだ。私は初めて軍司令部がかねて想定していた米軍の敵前上陸がここリンガエン港であることを知った。時に山下司令…

私のいちばん長い日(5)

強行軍が続いたが、日を追うにつれて隊員の携行食糧も底をつき、飢えと疲労に倒れる者が出てきた。バギオ街道の路傍のあちこちに、あの双胴のロッキード戦闘機の機銃掃射でやられた友軍の兵や日本人婦女子の遺体が点在していた。 ふと路傍を見ると、乳飲み子…

私のいちばん長い日(6)

サクラサク峠に迫った第三十二隊長ギル少将は「水不足、暑さ、埃という三重苦の上に、洞穴から洞穴タコ壺からタコ壺に飛び移って攻撃する日本軍という最大の苦難に直面し、我が軍の前進は文字通りインチ単位のものでしかなかった」と回想するが、たとえ一イ…

私のいちばん長い日(7)

米第六師団はキアンガンを占領、そのまま国道四号線を北西に進んで、七月二十日、ボントック(=ルソン島北部マウンテン州にある都市)の手前、バナウェ(ルソン島北部イフガオ州にある町)を手中に収めた。かくて残った山下大将以下直轄部隊は バギオ ― ボ…

私のいちばん長い日(8)

九月二十七日、部隊は山を下り、麓のバナウェの米軍により、武装解除を受け、直ちにトラックでモンテンルパ=(ムンティンルパ=マニラ南郊の郊外都市)のニューピリピッド収容所に収容された。ルソン島合戦からの将校五〇〇名が同キャンプだった。 『戦犯』…

私のいちばん長い日(9)

昭和二十六年十月三日、私は東京明治ビル連合軍総司令部へ一番列車で出発した。満員列車だったが浜松で近くの席が空いて腰掛けられた。 私は瞑想にふけり続けた。家族の行く末が走馬灯となる。 戦地では直接指揮した本部と第一、第二中隊で戦犯に引っ掛かる…