little cloudberry JAM

昭和生まれの¥ENさんが平成の世を生きた軌跡を残す為だけに存在する誰得備忘録

私のいちばん長い日(7)

米第六師団はキアンガンを占領、そのまま国道四号線を北西に進んで、七月二十日、ボントック(=ルソン島北部マウンテン州にある都市)の手前、バナウェ(ルソン島北部イフガオ州にある町)を手中に収めた。かくて残った山下大将以下直轄部隊は バギオ ― ボントック ― バガバック ― アリタオ を繋ぐ正四角形の域に包囲された。しかしその後、米軍は敢えて進撃せず、包囲持久の構えを取り、戦線は対峙状態を現出した。田中光佑参謀が回想する。

「こう、真ん中に川が流れていて、お互いに稜線を保持しているんです。何時とは無しに夕暮れになると射撃をやめ、それぞれ川に水汲みに行き、朝になるとまたパパパと射ち合う<戦い済んで日が暮れて…>という、昔の軍歌そのままでした」

 

私と部隊本部はバクダン(=イゴロット族の居住域)の山奥のパロン部落に駐屯していた。

 イゴロット族の高床式のニッパハウスの四帖半くらいに副官以下大勢と寝起きしていた。ロッキード機銃掃射はなく迫撃砲も飛んで来ない長閑(のどか)な日が時々ある。

当番兵が「付近の竹藪に大トカゲが出るから見に行きましょう」と言うので一緒に出掛けた。奉銃で一発せしめて本部の一週間分の食料にしようと息を殺してじっと待っていると、胴の長さが一メートルくらい、胴廻りは電柱くらいの太さのやつが出てきた。大きさもさることながら、鮮やかな玉虫色に光るのが不気味だったが、人の気配を知ると途端に藪に姿を消した。狙いを定める隙もなかった。五発しかない弾が勿体なくて諦めるより仕様が無かった。

十日ほど前、本部下士官が蛇を一匹捕まえたので焼いて一切れずつ分けて食べたが、ペラペラの乾物みたい。骨ばかりで美味いとは思わなかった。

付近で名も知らぬ木の枝に留まっている野生のカメレオンに虫を食わせて戯れていたのは面白い思い出である。

 

八月十七日。

当番兵が「隊長殿、敵機がばら撒いた宣伝ビラが落ちていたので拾って参りました」。

今までも時々あったので、またかと思って見ると。

 

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大日本帝国天皇は、連合軍に対して終戦の大詔を換発された。

我が軍は明日から諸君を攻撃しないであろう。諸軍もまたこれに気付くであろう。

諸君は武器を捨て、速やかに山を下れ。我が軍は諸君を歓迎するであろう。

 

     昭和二十年八月十五日

 

日本軍将兵諸君    

               連合軍最高指揮官

 

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文字通り、翌日からそれまでのような砲撃もピタリと止まった。

八月二十日、軍司令部から詔書ガリ版刷りが届いた。本部第一第二中隊全員を集めて詔書を朗読した。

体の力がいっぺんに抜けて、地面にへたり込んだ。涙がとめどなく頬を伝い流れた。